栄町商店街振興組合オフシャルサイト

栄町商店街振興組合について

栄町商店街は、名古屋市と新の商業集積の中心とも言うべき栄交差点から東に伸びた商店街で、広小路通沿いの地上と地下の高層に集積する百貨店、専門店で構成された超広域型の商店街です。

昭和40年代に市電と屋台の廃止が大きく影響して地上の賑わいが一時薄れ、商店に代わって銀行や証券、損保会社などが増加して業務地区の性格が強くなりました。

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商店街の沿革

栄町商店街の立地する広小路通は、慶長15年の清洲越しのときに造られた歴史的な幹線道路である。万治の大火(1660年)の後、防火空間確保のために町家を取り払い、堀切筋を3間から15間に拡幅したことから「広小路」の名が生まれた。この道幅は現在もほぼ同じで、当時(江戸時代)はこの広い通りに、大道芸人、見世物小屋、茶屋、縁日が並び、庶民の楽しみの場として賑わったという。
明治19年には、東海道線開通と笹島停車場開設で、広小路通は西に延伸され、駅前から柳橋の間に大通りが完成した。明治31年には、笹島と久屋町の間に日本で二番目の路面電車が開通し、路上には柳の並木が植えられ、街路灯も設置された。
大正時代になると、花柳界、カフェ、映画演劇が進出し、広小路はいわゆる「青い灯、赤い灯」の街となり、歓楽、娯楽性も備えた一大繁華街となり、その賑わいは第二次世界大戦の前まで続いた。戦後、いち早く復興した街並みの両側には、屋台が並び、賑わいと活況が呼び戻った。
賑わいが続いた広小路通に変化が生じ始めたのは、昭和32年11月の名古屋駅と、栄町の間の地下鉄開通の頃からである。この開通と同時に「栄地下街」が造られ、昭和40年に「栄中南地下街」、同44年に「栄東地下」及び「サカエチカ」、同53年に「栄北地下街」と相次いで地下街が造られ、広小路通の人の流れは地下に吸収されていった。この間に、栄と笹島の間の市電が昭和46年に廃止され、名物の屋台も同48年に姿を消した。
かつては、あれほどの賑わいを見せた広小路も、地下街の発展というと都市構造の変化から、地上の商店街の商店数は減少し、これに代わって銀行、証券会社等の進出で業務型の性格が強くなっている。このような状況にあって商店街は、昭和38年8月に振興組合を結成し、その振興を図ってきた。

商店街の立地条件

栄町商店街は、高次都市機能が集積する都心核(シティコア)の栄地区の広小路通に位置している。また、学区としては栄学区の北部にある。
商店街の範囲は、東側は久屋大通り、西側は長者町通の間で、街区の延長は約630mである。当商店街は、東が東新商店街、西が広小路商店街と連担している。また、南側は南大津通商店街、プリンセス大通商店街、住吉商店街とそれぞれ接続している。さらに、地下街とは交差点及び各ビルの地下道で結ばれている。

当地区は、都市計画の用途地域では、第1種高度地区の商業地域で、平成3年2月には、名古屋都市景観条例に基づき、大津通地区とともに「都市景観整備地区」に指定されている。

組合概要

組織名 栄町商店街振興組合
設立 昭和38年8月21日
組合地区
名古屋市中区
栄二丁目 4番 1,3,4,5,6,7,9,10号
栄三丁目 1番 1,8号
2番 2,6,7,9,17号
3番 1号
4番 2,4,5,6,7,8号
5番 1,4,6,7,8,9号
錦二丁目 20番 20,25号
錦三丁目 21番 18,21,22,24,26号
22番 17,21,23,24,26号
23番 17,18,21,22号
24番 17,20,21,22号
25番 21,22号
組合形状 路線型商店街(総延長約650メートル)
住所 名古屋市中区錦3丁目21-18中央広小路ビル2階
電話番号 TEL:052-955-6101 FAX052-955-0560